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あとがき

姓名判断

姓名判断で、姓名を占った結果は、どうでしたか。

吉、大吉が多くて、とても満足された方もいると思います。

ですが、凶、大凶ばかりで、不満を感じている方も、いると思います。

ここでは、姓名判断をどうとらえるかを、考察します。

良い姓名だから

姓名判断で占った結果、吉、大吉ばかりの方もいると、思います。

一般的には、人運と総運が吉や大吉なら、良い姓名とされています。

ですが、どんな良い姓名でも、失敗する可能性があります。

それは、驕りだったり、自惚れだったり、他人を見下したり、周囲の意見を聞かない、ときなどです。

そのようなときは、たとえ姓名が良くても、一気に運が下降します。

当たり前のことを言っていると、思われる方もいるかもしれません。

ですが、その当たり前のことができないのも、人間です。

ですので、当たり前のことを、わざわざ、指摘しました。

このように、当たり前のことを指摘するのも、姓名判断の一つだということです。

悪い姓名だった

悪い姓名だったといって、悲観されている方もいるかもしれません。

一般的な姓名判断では、改名を勧めたり、印鑑を勧めたりすることになります。

ですが、このような話は、出尽くしています。

ここでは、ちょっと違う角度で、悪い姓名を克服する方法を、考察します。

極端に考えると

もし、仮に、全ての人が、良い姓名である、世界があったとします。

その、良い姓名の人しかいない世界は、全員が、出世したりリーダーになったりするのでしょうか。

出世というのは、周囲よりも位などが上になっている状態を指します。

全員が出世ということは、全員の位が、横並びになっている状態です。

なぜなら、一人でも、位が下の人がいたら、その人は、出世していないことになります。

それは、出世するという話と、矛盾します。

同じような理屈で、全員がリーダーというのも矛盾します。

リーダーというのをリーダーシップととらえると、どうでしょうか。

全員が、全員に、リーダーシップをとる状況は、なんか変ですよね。

このような場合は、大抵、意見などが衝突して、集団が分裂すると思います。

実際にそのような場面を、目撃した人も、いると思います。

ですから、全員が同じような人間しかいない、というのも、ちょっと考えられません。

なので、良い姓名の人しかいない世界というのは、ありえません。

だから、この世界の人間の一つの個性、と考えられませんか。

個性だと考えれば、悪い姓名であっても、何とかなるのではないでしょうか。

諸説が多くて

姓名判断は、諸説が多いです。

例えば、秘数の求め方でも、いくつかの説があります。

さらに、人運や外運の求め方に至っては、かなりの説があります。

そのような、諸説が多い状態なのに、きちんと、吉凶が出せるのかと、疑問に思う方もいるかもしれません。

説が違えば、結果が違う訳ですし、秘数が1違えば、吉が凶になることも、十分にあります。

そのような状況で、吉凶を信用できない、という人がいるのは、当然のことだと思います。

なので、諸説が多いから信用できない、とするのも一つの方法かと思われます。

説が淘汰されて、統一の見解が出されるまでは、この方法が通用します。

そんなこと言っても

そんなこと言っても、悪い姓名と言われて、黙っていられない、という人もいるかもしれません。

誰だって、悪いと言われて、ほっとくわけにはいかない、訳ですし。

いくら個性だといっても、悪いと言われて、悪いとされる生き方をするつもりが無いのは、当然だと思います。

ですが、この場合は、姓名判断では、改名が最良の方法とします。

それでも、改名には、抵抗があると思います。

それなら、悪いとされる点を、気を付けるというのが、一つの方法です。

例えば、気性が激しいとされたら、気を落ち着ける方法を身に着けるとかです。

短慮とされたら、何事にもじっくり考える癖をつけるのも、有効になります。

そのうえで、利点とされるところを、磨くことです。

当たり前のことを言っていると、思われる方もいるかもしれません。

ですが、姓名判断とは、当たり前のことを指摘することです。

気性が激しいので失敗しやすいから、気を落ち着けましょう、という当たり前のことを、指摘するのが姓名判断というものです。

ですが、その気性が激しいという、結果を導く方法に、姓名を用いるという点が、違うということです。

だから、悪いとされた点を気を付けるのも、十分に効果的と言えます。

あとがき

結局は、諸説が多いので、どの説を信用するべきか、悩む方も多いと思います。

本来なら、一つの説にまとめるべきかもしれません。

ですが、各説の真偽を見極めるために、あえて、諸説を並べて記述しました。

これらの説が、淘汰されて一つの説になっていく状態を、望んでいるからかもしれません。

その説が、どのような説なのか、そして、姓名判断は、信用に値するのかを、見極めたいと思っています。

それには、膨大な情報を処理する必要があります。

ですが、これからの時代なら、それも可能かと思いました。

姓名判断が、どこに向かうのか、見てみようと思いました。

また、悪い姓名とされて、不安に思う方もいるかもしれません。

世の中は、そのような不安に付け込む人も、多いです。

なので、姓名判断は、どのようなものかを理解することが、大事だと思いました。

予備知識があれば、対処できる、ということです。

悪い姓名を、ことさら強調する人も、世の中にはいます。

そのような場合でも、予備知識があれば、何とかなるということです。

大抵は、改名を勧めたり、印鑑を勧めたりします。

改名を勧めるのは、命名が商売だからです。

印鑑を勧めるのも、商売だからです。

あらかじめ予備知識を、身につけておきましょう。