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美周郎

姓名判断

今回は、三国志で美周郎と渾名され、赤壁の戦いでは、曹操を破るほどの戦功を挙げた周瑜を、対象とします。

演義では、孔明(諸葛亮)の引き立て役にされるという損な役ですが、実際は非常に優れた軍略を持った人物です。

この周瑜を姓名判断で評価しようという試みです。

周瑜の略歴

字は公瑾。

廬江郡舒県の人。

孫策とは、同い年で、親交を結んだ。

演義では、義兄弟と描写されている。

孫策、孫権に仕えて数多くの戦功を挙げる。

やがて、曹操が侵攻してくると、赤壁において曹操を打ち破った。

益州を占領し、北上して曹操を倒すという計画である、天下二分の計を練るが、その途中で急死した。

享年36。

その後、呉の皇帝となった孫権は、周瑜がいなかったら皇帝になれなかった、と嘆いた。

周瑜の各運

周瑜の姓名と字

姓は周、名は瑜、字は公瑾です。

地運は14、人運は22、総運は22、字は19、字運は27となります。

各運の解説

地運の14は、子供のころから家庭運が薄く、離別を繰り返すことを暗示します。

子供のころから、両親が不仲で離婚したとか、死別したとかが、発生しやすいです。

もし、子供のころに十分に愛情を受けて育たないと、大人になってから愛情に飢えるようになります。

甘えん坊だったり、寂しがりや、なタイプが多いです。

その結果、ちょっと優しい言葉をかけられたり、尽くしてくれたりする人に、引き寄せられます。

相手が、どのような考えを持っていたとしても、突き進んで痛い目に遭う可能性があります。

また、お金遣いは激しい方です。

浪費癖を抑えるようにしましょう。

とくに、異性などに貢ぐのは危険です。

ただでさえ、甘い言葉に弱いのに、そのうえ貢いでしまうのは、絶好のカモになるからです。

お金で得られる愛情など、存在しないことを知るべきです。


人運の22は、虚栄心が強く、理想と現実のギャップが大きく、不平不満が溜まりやすいことを暗示します。

大人しそうな見た目ですが、細かいことを気にし、根暗で根に持ちやすい性格です。

色々なことに恨みを抱きやすく、愚痴が多くなってしまいます。

それらは、虚栄心が強すぎることが、原因です。

なので、自分の今の状況に不満が溜まり、その結果、愚痴が多くなります。

さらに、細かいことを気にしすぎる性格が、より一層不平不満を溜めます。

だから、どんどん恨みを募らせることになります。

このままでは、負のスパイラルに陥ってしまいます。

そのスパイラルを脱却するには、人の陰にいることです。

人の陰に隠れてじっと観察すると、細かいことが見えてきます。

その人に代わって、細かいことを除けば、喜ばれるし、自身も満足できます。

なので、リーダー的素質を持った人を見極める目を、持つことです。

中には、他者を受け入れない性格の人もいます。

そのような人とは、相性が悪くなります。

もともと実力があるので、リーダー的素質を持った人の、黒幕的存在として君臨することを目指せば、負のスパイラルから、脱却することできるでしょう。


総運の22は、若いときから真面目さと器用さを発揮できるが、意志が弱く挫折しやすい人生であることを暗示します。

神経質で、色々と細かいところに気付くタイプです。

いろいろと細かいところに気付くので、なかなか決断することができなくなってきます。

そして、優柔不断と呼ばれるようになります。

その結果、途中で投げ出したくなってきます。

もともとは、色々と細かいことに気付き、それらを気にしすぎるところが原因です。

自分でどんどん問題を発掘するタイプと言えます。

その問題に自分が溺れてしまうということです。

それらを乗り越えるには、目標を一つに絞ることです。

そうすれば、いろいろと問題を発掘しても、もともとの数が少ない分、対処しやすくなるでしょう。

そして、気力が萎えることが少なくなり、途中で挫折することも無くなることでしょう。

それでも、問題を乗り越える意志と忍耐力が、必要となります。

目標を見定めて、その目標に一心不乱に突き進むようにすれば、運が好転し、成功することができることでしょう。

字運の27は、頭脳明晰で、優れた直感力、個性的な才能を持っている、ことを暗示します。

自分の信じた道を突き進む人です。

ですが、その道は、突然落とし穴が発生する道です。

そして、その落とし穴に嵌まります。

それは、突然の中傷や、信じていた人の裏切りなど、人間関係のトラブルという形で現れます。

事件、事故の形の場合もあります。

その時に、強情さを見せると、解決することが難しくなってしまいます。

ちゃんとしたアドバイザーの指示を受けましょう。

周瑜の評価

周瑜は、優れた参謀役です。

これは、人運、総運の22で説明できます。

これらは、常人が気が付かないような問題点を発見できる、ことを意味します。

策を練って実行するには、深く謀り後々のことまで考える、必要があります。

それは、深謀遠慮、という言葉です。

赤壁の戦いの際に、程普は、年下である周瑜の下に入るのを嫌いました。

ですが、周瑜は、常に下手に出て程普を立てました。

この行為を程普は、芳醇な美酒、にたとえました。

芳醇な美酒は、いつ酔ったか気付かぬ間に全身に酔いが回る、という意味で周瑜を称えました。

この細かい配慮ができるのは、人運、総運が22の人の良い点です。

また、将来のことまで考えた深いはかりごとは、天下二分の計、という言葉で表せます。

孔明(諸葛亮)の天下三分の計が有名ですが、それよりも前に、周瑜は、天下二分の計、を考えていました。

これは、曹操が北の地、孫権が南の地を占領することで曹操に対抗する、という策です。

ですが、この策を実行する途中、長江を遡る途中で病死しました。

この体調面で弱いのは、地運の下一桁が4(24を除く)の特徴です。

何事も成すには、健康が重要である、ということです。

周瑜は、大量の服を持っていた、という表記があります。

それらの服は、殊勲の孫権から下賜したとのことです。

おしゃれが好きで、服にお金をかけるのは、地運14の特徴とも言えます。

周瑜は、音楽に精通していて、半音違うことが解ったので振り返った、という意味の「曲に誤りあれば周郎が振り向く」と言って囃したといいます。

この才能は、字運27の特徴と言えます。

字運27は、個性的な才能があることを意味します。

なのに、なぜ演義では、孔明(諸葛亮)の引き立て役になったのでしょうか。

それは、三国志演義が、蜀漢を正当の王朝としていて、曹魏や孫呉は正当性が無い、としていることです。

なので、蜀漢に関わる人物を主役として、それ以外を敵役とされていることです。

とくに、孔明は、後半の主人公という扱いです。

だから、その主人公を引き立てるための敵役として、周瑜が当てられた、と見れます。

ただ、この扱いは、流石にやりすぎと批評している人もいます。

孔明が嫌いという人は、その辺が理由となっていることが、多いです。

あまり、露骨な描写は止めた方がいい、という例だと思います。

もっとも、孔明が悪いのではなく、演義が、つまりその作者である、羅貫中が悪い、ということになりますが。

ちなみに、孔明の服装は、もとは周瑜の服装だった、という話があります。

あの道士のような服装のことです。

演義は、周瑜の個性的な服装まで奪った、ようです。

もし現代に生まれていたら

もし周瑜が現代に生きていたら、どうなるのでしょうか。

周瑜の特徴は

  • 頭脳が明晰である
  • 緻密な計画を立てることが得意
  • 細かなところまで良く気づく
  • 個性的な才能がある
  • 自分の信じた道を行く
  • 目的の為には手段を選ばない

ということが挙がります。

起業家の下で、多くの問題を解決するのに暗躍できます。

ときには、法律違反的なことも行っていたでしょう。

その後、部下に裏切られて、過去の行為を暴露され、失脚する。

その部下が、孔明みたいな人だった。

そして、吐血して憤死するというのが、演義までを考慮した結果です。

訂正

かつて、このページの記述は、人運、総運が21、地運を13としていました。

これは、名前の瑜という文字を、見過ごしていたからです。

瑜の文字の意味は、美玉の名、玉の光彩、などがあります。

玉偏だから、4画ではなく、5画にするべきです。

つまり、字の秘数を導き出すことに失敗してしまいました。

なので、地運は14、人運と総運は22、となります。

ここに、お詫びをして訂正します。

まとめ

周瑜は、姓名判断から見ても、高い評価を下せます。

明晰な頭脳、緻密な戦略、独自の発想、これらが優れていました。

史実の評価も姓名判断の評価も、あまり変わりません。

ただ、演義だけは違うようです。

演義は、孔明を引き立てるのに必死です。

そのために、違和感が出てきました。

もっと長く生きていたら、演義の評価も変わっていたかもしれません。

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