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後漢朝末期に起き、後漢朝を衰退させた黄巾の乱に関わった人物を、姓名判断で評価します。
黄巾の乱は、三国志演義の始まりともいえるシーンです。
後に英雄と呼ばれた人物も登場します。
ここでは、黄巾賊側と官軍側に絞ります。
具体的には
- 黄巾の乱首謀者、張角
- 張角の弟、張宝、張梁
- 官軍側として、朱儁、皇甫嵩
です。
ここでは、黄巾の乱に関わった人物の評価、を行います。
黄巾の乱とは
黄巾の乱は、後漢朝末期に太平道の教祖張角を指導者とする太平道の信者が、各地で起こした農民の反乱です。
演義では、太平道は、張角が山に薬草を採りに行ったときに、南華老仙という仙人に出会い、太平要術という天書を授かり、書かれている妖術を覚え、民には仙術による病気の治療を行い、人心を掌握していった、一種の宗教的な思想を持った集団となっています。
スローガンとして、「蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉(蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉)」を掲げ、ユニフォーム(?)として、頭に黄色い頭巾、即ち黄巾を巻きました。
この黄巾を巻いた農民の反乱なので、黄巾の乱と呼ばれました。
演義では、黄巾賊となっています。
蒼天已死のスローガン
黄巾のスローガンとして「蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉」が、ありますが意味は、解釈には諸説あります。
ここでは、五行説と関連付けている説を紹介します。
蒼天は木行の王朝で、黃天は黄巾が支配する王朝、と解釈しています。
つまり、木行の後漢朝は、既に死んだも同然で、黄巾は立ち上がるべし、と説いています。
ですが、後漢朝は、火行の王朝であり、木行の王朝ではありません。
演義では、後に曹操が、この五行説に基づく遷都を実施しています。
また、蒼天は木行だけど、黄天は土行だから、木は土の栄養を吸い取るという、相剋の関係になるます。
自身が弱くなることを、主張するのは、違うと思います。
よって、この説は、おかしいと言えます。
ちなみに、甲子は、十干十二支のことです。
歴史的にも、壬申の乱のように、十干十二支が使われていることがあります。
もし、四柱推命を学びたいなら、五行説と十干十二支は、極めて重要になります。
白波之賊
黄巾の乱が鎮圧されてからも、各地に残党が跋扈し、盗賊行為が無くなることは、ありませんでした。
その中で、一部の残党が、白波谷を拠点とし、白波賊と呼ばれました。
この白波賊が、由来となった故事が、白波之賊(はくはのぞく)です。
白波之賊は、盗賊という意味です。
白波之賊は、白波(はくは)と呼ぶこともあります。
ちなみに、日本では、白浪(しらなみ)と呼ぶこともあります。
歌舞伎や狂言で呼ばれるようです。
黄巾の乱首謀者、張角
黄巾の乱の首謀者は、張角です。
首謀者というよりも、太平道の教祖というかんじです。
張角は、字は不明です。
なので、字運はありません。
張角の略歴
鉅鹿郡の人。
自ら大賢良師と称し、太平道の信者を募り、信者の病を治した。
そのため、多くの人々から信奉を集めた。
やがて、数十万人の信者と武装蜂起、各地を放火、殺人、略奪を行った。
しかし、ほどなく病死、乱も鎮圧される。
官軍は、張角の棺を暴いて、遺体を刑罰に処し首を斬った。
首は、洛陽で木に吊るされた。
張角の各運
姓は張、名は角、です。
地運は7、人運は18、総運は18、となります。
地運の7は、どんな困難も乗り越えられる意志を持った人です。
また、性格は、勝気なタイプです。
人運の18は、負けず嫌いな野心家です。
何事も、自分で行わなくてはならない、性格です。
また、考えるよりも行動という人です。
総運の18は、強い意志と忍耐力で、どんな困難も乗り越えられます。
しかし、人には任せられない、と考える人です。
態度がでかい、と思われることがあります。
張角の総評
張角は、強い意志と忍耐力で、どんな困難も乗り越えられる人です。
これは、地運7と人運18の特徴です。
また、負けず嫌いな野心家です。
これは、人運18の特徴です。
この18は、考えるよりも行動というタイプです。
ここから考えると、黄巾の乱は、あまり考えずに行動(反乱)した、と言えます。
強い意志と忍耐力で乗り越えられる、と思ったのでしょうか。
ですが、それよりも先に、病に倒れてしまいました。
強すぎる意志と忍耐力は、身体に物凄い負担を与えていたようです。
地運の7と人運と総運の18のマイナス点、と言えるでしょう。
張角の弟、張宝、張梁
張宝と張梁は、張角の弟です。
兄の張角は、反乱するとすぐに病気になったようなので、実質的な首謀者とも言えます。
張宝の略歴
鉅鹿郡の人。
地公将軍と自称して、兄張角の補佐を行った。
病の兄に代わり反乱の指揮を執ったとされる。
弟の張梁が先に戦死したが戦い続けて、大敗、殺害される。
首は斬られ、埋められた。
張宝の各運
姓は張で11、名は宝で20です。
地運は20で、人運は31で、総運は31となります。
地運の20は、金銭的に大波乱という暗示があります。
人運の31は、意志が強く真面目ですが、自信を失うと回復までに時間がかかります。
総運の31は、意志が強く真面目で、困難を乗り越えられる人です。
しかし、困難が来るまで本気を出さない傾向があります。
また、晩成傾向があります。
張宝の総評
張宝は、兄の補佐を真面目にこなしたことでしょう。
これは、人運と総運の31で説明できます。
ですが、兄が病に倒れたので、本気を出したが、時すでに遅し、で大敗したのではないでしょうか。
記述が少なくて、何とも言えませんが、もし、この張宝が現在にいたと考えます。
真面目に物事をこなしているが、ある日、金銭的に困窮することが起きます。
その時に、本気を出して金銭的な困難を克服します。
そして、晩年は、安泰となります。
そこから考えると、張宝は、教祖である兄の下で、真面目に物事をこなしていたことでしょう。
やがて、兄が死亡すると本気を出して、籠城します。
ですが、弟が戦死したので、自信を失います。
そのために、戦意を失い官軍に敗れた、そして、殺害された、と読み取れます。
張梁の略歴
鉅鹿郡の人。
人公将軍と自称して、兄を補佐した。
黄巾軍を率いて戦ったが、兄張角が死亡すると、勢い付いた官軍に敗れて、戦死した。
張梁の各運
姓は張で11、名は梁で11です。
地運は11で、人運は22で、総運は22となります。
地運の11は、強い意志を持つ温厚な人です。
人運の22は、おとなしいが、根に持つタイプです。
また、優柔不断です。
ですが、人を補佐する役割に徹すれば、黒幕として実力を発揮できるようになります。
総運の22は、真面目で器用なタイプだが、意志が弱く途中で挫折しやすいです。
神経が細かく、いろいろなところに気が付く人ですが、弱気になりやすいです。
張梁の総評
張梁は、兄張角の補佐役として、実力を発揮したことでしょう。
ですが、自身が軍を率いると、優柔不断さが出てきて、弱気になることでしょう。
そのために、戦に敗れて、戦死したのではないでしょうか。
記述が少ないので何とも言えませんが、もし、張梁が現在に存在したらと考えます。
真面目に補佐役として、実力を発揮していたところで、ある日、自分がリーダーにならなくてはならない状況が来ました。
その途端に、弱気になり、また、色々な面に気付いてしまった為に、迷いが出て優柔不断になってしまった。
だから、途中で投げ出してしまった、という人物になります。
そう考えると、張梁は、軍を率いてはダメ、ということになります。
兄の補佐に当たっていたらよかったのに、真面目さが評価されて軍を任されたことが、運の尽き、ということになったでしょう。
補佐役はあくまでも補佐役に徹すべき、という教訓です。
ちなみに、張梁だけは、兄たちと違って、首に関する記述がありません。
首を斬られたという記述が無いので、その辺からも、兄たちよりも下の扱い、と言えなくもないです。
朱儁
朱儁は、官軍を率いて、黄巾軍と戦い、黄巾の乱の平定に尽力しました。
一部の三国志では、凡庸な指揮官とされているが、実際は、有能な指揮官だったようです。
これは、劉備の功績を盛るための脚色、とみられています。
朱儁の略歴
字は公偉。
会稽郡上虞県の人。
黄巾の乱では、南陽の趙弘を破り、宛に籠った韓忠を降参させ斬り、後任の孫夏を滅ぼした。
後に、董卓が実権を握ると、反董卓勢力と呼応するが、董卓から襲撃されそうになると、脱出した。
独自に董卓を倒そうとするが、董卓を倒せなかった。
董卓が暗殺され、李傕と郭汜が実権を握ると、招聘された。
しかし、李傕達のために、憤り病を発症、その日のうちに死去した。
朱儁の各運
名は朱で6、名は儁で14、字は公偉、公は4、偉は11です。
地運は14で、人運は20で、総運は20で、字は15で、字運は21となります。
地運の14は、家庭運が薄く、離別しやすい、ことを暗示します。
人運の20は、度胸があり勤勉で忍耐強いですが、運が悪く、自分の思うようにいかず、鬱屈した性格になります。
総運の20は、苦労が多く不安が付きまとい、心が落ち着かないことを暗示します。
運が悪いために、色々と悩みが多くなります。
字の15は吉数です。
字運の21は、一歩一歩確実に前進できる人です。
どのような苦労も乗り越えることができます。
ですが、金銭が絡むと、手段を選ばずに行動をする特徴があります。
また、人を人と思わない考えが出てくることもあります。
朱儁の総評
人運と総運の20は、自分の思うようにいかず、常に不安や悩みが尽きないことを意味します。
これは、黄巾の乱を平定したのに、董卓が現れて、董卓が暗殺されたと思ったら、次は李傕と郭汜が現れて、というように、朝廷の中にいる朱儁にとっては、頭が痛くなる状況が続いたことでしょう。
これは、全く自分の思うようにいかない状況である、ことを意味します。
朱儁一人の責任ではないでしょうが、このような状況が次々と現れると、流石に後漢朝は、末期状態と言われても仕方が無いことです。
ですが、自分の責任で行動するところは、しっかりと功績を挙げています。
これは、黄巾の乱の平定に尽力したこと、で言えるでしょう。
このような状態は、字運21の効果ではないでしょうか。
この効果によって、出世を着実にできた、と姓名判断的には言います。
ちょっと、厚かましいですが。
ちなみに、字運21にふさわしい話があります。
周規という者が、金銭が不足したら、母親の財産を盗んで、周規に渡した、という話があります。
また、色々と賄賂を役人に、送っていたようです。
このように、金銭が絡むと手段を選ばないのは、21の特徴です。
たとえ盗んでも、ということです。
皇甫嵩
皇甫嵩は、黄巾の乱の平定に、功績があります。
董卓に恨まれて、投獄され処刑されそうになったこともあります。
ですが、董卓と戦うことをしませんでした。
皇甫嵩の略歴
字は義真。
安定郡朝那県の人。
黄巾の乱では、黄巾軍の波才、卜己を大破し、広宗で張角の弟張梁を討ち取り、病死していた黄巾の乱の首謀者である張角の棺を暴き、首を斬り落とし洛陽に送った。
さらに、張角の弟の張宝を討ち取り、首を斬った。
後に、反乱の討伐に、董卓と当たることになったが、董卓と対立し恨まれた。
董卓が実権を握ると、投獄され殺害されそうになる。
董卓が暗殺されると、再び栄進した。
しかし、李傕達が実権を握ると、病を患い、その後死去した。
皇甫嵩の各運
姓は、皇甫で皇は9、甫は7で、名は嵩で13で、字は義真、義は13、真は10です。
地運は13で、人運は20、総運は29、字は23、字運は39となります。
地運の13は、子供のころから人気者になれます。
人運の20は、度胸があり勤勉で忍耐強いですが、運が悪く、自分の思うようにいかず、鬱屈した性格になります。
総運の29は、個性的で独創的な変わり者、を暗示します。
また、頭が良いことを意味します。
ですが、人を茶化す様な事をしがちなのは、注意です。
字の23は吉数です。
字運の39は、個性が強く、逆境にも強く、才能もあります。
ですが、自惚れると痛い目に遭い、とんでもないことになりやすいので注意してください。
皇甫嵩の総評
人運の20は、自分の思うようにいかず、常に不安や悩みが尽きないことを意味します。
どういう訳か、同じように朝廷にいる、朱儁と同じ人運20を持っているので、どんだけ、悩みがある王朝なのか想像に難くないです。
こんなにも悩みがある王朝なら、滅ぶのは必須でしょうか。
皇甫嵩は、董卓といっしょに反乱の討伐を行ったことがあります。
しかし、董卓の提案する作戦をすべて却下して、その正反対の作戦を実施したところから、董卓から怨まれた、とあります。
全く正反対の作戦を行うのは、総運の29の特徴と言えるのではないでしょうか。
この29は、人を茶化す様な行動をとります。
董卓の面目をつぶしたのは、この性格によるところが大きいと思います。
ちょっと、フォローするだけでよかったと思いますが、できないのは、この性格の為です。
字運の39は、自惚れるととても痛い目に遭う、ことを意味します。
本来は、長所も多いのですが、この点がマイナスとなります。
自惚れから董卓の面目をつぶして、怨まれ投獄され、処刑されそうになるのは、総運の29と字運の39のマイナス点が出てしまったのではないでしょうか。
まとめ
黄巾の乱は、漢王朝にとって、衰退を決定させる出来事と言えます。
黄巾の乱の首謀者である張角は、野心家で意志が強く、忍耐力もある人物です。
この人物が、反乱を起こしたのは、ある意味で当然と言えます。
この乱を平定する方も、討伐までは、うまくいったのですが、その後は、思うようにいきませんでした。
朝廷に次から次へと、困難が出てくると、不安や悩みが尽きないことでしょう。
朝廷にいる朱儁と皇甫嵩が、同じような悩みを持っているのは、想像に難くないです。
姓名判断から朝廷の苦難の程度が判るのも、なかなか無いと思います。
筆者紹介
白と黒のぶちネコ
独学で技能を習得することが趣味。
知識や技能は使用してこそ意味があり、公開してこそ価値がある、という考えに至りブログにて公開することを決めた。